2014年10月28日

三国志 登場人物紹介・その25 〜典韋〜

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は〜〜〜い!
どうも!
ど〜〜もです!!

jami です(^^)
戦国武将や三国志が大好きな jami であります(^^)
好きなくせしてそんなに詳しくない jami であります!( ;´Д`)

当ブログにお越しくださり、誠にありがとうございます☆
当ブログは自己満仕様となっております。
調べればすぐに分かることを知って驚いたり狂喜したり切なくなったりする素人です。
素人でございます。


大いなる物語(?)・三国志を jami 的視点で語らせていただきます。
が、大した内容はございません。
最近 戦国武将・三国志ファンになった方に向けて、入門書の前の入口だと思って読んでいただけましたら幸いです。

「入門書の前の入口」 って、どれだけ内容薄いんだってな感じですが(^^;)

なにとぞ宜しくお願いいたします!


ではでは

今回もいきましょう、あのコーナー!!
jami 的三国志・登場人物 紹介ぃ〜〜〜!!!
三国志に登場する魅力的な方々を、jami 的視点で書いていきます。

そしてそしてぇ!
jami 的能力値判定なるものを設け、誠に勝手ながら、【武力】【知力】【魅力】の数値をつけさせていただきました。

1 ・・・ 凡庸
2 ・・・ 人並み以上
3 ・・・ 優秀
4 ・・・ かなり優秀
5 ・・・ 超かなり優秀

これも、かなり!かな〜〜〜〜り!!個人的見解ですので、「ふ〜〜〜〜ん、あそ(´・_・`)」ってな感じで、大きな心で見てやってくだされば幸いです(^^;)
まぁ、お気軽に読んでやってくださいな( ´ ▽ ` )ノ

本日はこの方ぁ!!!



典韋。


jami 的能力値判定
【武力】 4 ★★★★
【知力】 1 ★
【魅力】 2 ★★

はい。典韋 (てんい)さんです。
曹操のボディガードとして活躍した猛将ですね。

私が初めて典韋さんを知ったのは、幼い頃 友達の家に遊びに行った時のことでした。
その友達は男の子で、本棚に横山光輝 先生の 「 三国志 」 がズラリと並んでおりました。
確認はしてないのですが、おそらくは全巻あったのではないかと思います。

何気なく一冊を手に取って読んでおりましたら、戦闘シーンが描かれておりました。
多くの敵を、確か一人で迎え撃っていたように記憶しております。
その迎え撃っている男は、武器を持っておらず、敵兵の武器を奪ってはそれで戦い、やがて武器が壊れ、また敵兵の武器を奪ってはそれで戦うのですが、やはり武器が壊れてしまいます。
そして(確か)

「 なまくらばかり持ちおって! 」

みたいなことを言っていたような気がします。
そして敵の攻勢に抗しきれず、弓矢の雨を受け、立ったまま絶命しておりました。
おぼろげながら、それでいて印象に残っております。

それからかなり時が流れまして、やがてjamiは三国志に興味を持ちました。
そして思い出すのです。

「 あの男こそ、典韋さんに間違いない!!! 」

と。
はい、おそらく間違いないでしょう。
念のため 「 典韋 横山三国志 」 で画像検索しましたら、立ったまま無数の矢を受けている男の画像が出てきましたから。
間違いなく典韋さんです。
・・・他にいらっしゃいませんよね? こんな散り様の方。

まさかまさかの仮装大会のシーンなんてないですよね???(^^;)
実はこの人は劉禅さん★なんてことはないですよね?(^^;)

次のページで 「 うっそぴょ〜〜〜ん♪ 」 とか言うシーンが控えてる・・・なんてことはあり得ませんよね?(^^;)
というワケで、典韋さんです、あれは。



そんなこんなで典韋さん、私の中ではこんな感じで、実は昔からその存在だけは知っていた方でした。
私の話ばかりでは物足りないと思いますので、これまた賢者・Wikipedia様から抜粋して転載いたします。
あくまで抜粋ですので、詳しく知りたい方はお調べください(^^)
 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓


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建安2年(197年)春正月、曹操が荊州の張繍を征伐し降伏させた時も、典韋は従軍した(「武帝紀」)。

張繍が降伏したときの酒の席では、一尺ほどの大斧を持って張繍たちを睨みつけたため、誰も顔を上げられなかったという。

その後、張繍が謀反を起こしたとき、曹操を逃がすべく部下とともに死にもの狂いで戦った。
典韋が守っていた陣門には敵が侵入できなかったが、敵は他の門から陣に侵入した。
典韋と十数人の部下は多数の敵に囲まれたが、典韋が戟を一振りすると、敵の十数本の矛が砕かれた。
多くの箇所に傷を負った典韋は、敵に突進し数人を殺してから、目を怒らせ口をあけ大声で罵りながら死んだ。
典韋の首や身体を、敵は全員で見物したという。

曹操は舞陰で典韋の死を聞くと涙を流し、子である曹昂の死以上に悲しみ、その遺体を取り戻すために志願者を募った。曹操は告別式で泣き、棺を陳留郡襄邑に送り届けさせた。その後、曹操は戦死した場所を通るたびに典韋を弔い、彼の子を郎中とし、後に司馬に採り立てて側に置いた。


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以上、転載終わり。

強いだけでなく、義に厚いお方だったようですね。
まさに忠臣であります。



本日もこのブログを読んでくださり、ありがとうございました(^^)

ではまた〜



★ ★ ★ ★

ブログ移転しましたぁ〜( ´ ▽ ` )ノ
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甲冑はじめました(*゜▽゜*)(冷やし中華はじめました的なや〜〜つ)


posted by jami at 08:27| Comment(0) | 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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