2014年10月07日

戦国武将紹介・その54 〜真田昌幸〜

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はい!
どもども!
ど〜〜もです!!

jami です(^^)
戦国武将大好きなjami であります(^^)
好きなくせしてそんなに詳しくないjami であります!( ;´Д`)

当ブログにお越しくださり、誠にありがとうございます☆
当ブログは自己満仕様となっております。
何も得るものがないとは思いますが、なにとぞ宜しくお願いいたします!


さてさて

本日もいきましょう、あのコーナー!!
jami 的戦国武将紹介ぃ〜〜〜!!!
魅力的な戦国武将の方々を、jami 的視点で書いていきます。

そしてそしてぇ!
jami 的能力値判定なるものを設け、誠に勝手ながら、【武力】【知力】【魅力】の数値をつけさせていただきました。
これも、かなり!かな〜〜〜〜り!!個人的見解ですので、「ふ〜〜〜〜ん、あそ(´・_・`)」ってな感じで、大きな心で見てやってくだされば幸いです(^^;)
まぁ、お気軽に読んでやってくださいな( ´ ▽ ` )ノ

本日はこの方ぁ!!!



真田昌幸。


jami 的能力値判定
【武力】 4 ★★★★
【知力】 5 ★★★★★
【魅力】 4 ★★★★

はい。真田昌幸(さなだまさゆき)さんです。
真田と聞いて、皆様はどなたを思い浮かべますか?

あ、真田広之さんってのはナシですよ?(^^;)
あくまで、戦国武将の中でです(^^;)
となるとやっぱり一番多くの人が名を挙げるのは、信繁さんですかね?
信繁さん、つまり幸村さんです。
ゲームやアニメで大活躍してますからね(^^)
でも私の場合、真田と言いましたらこの方が一番最初に思い浮かべます。


真田昌幸さん。

信繁さんのお父様です。
二度にわたる上田合戦において、数に勝る徳川軍を翻弄し、勝利を得ている知将であります。
大阪の陣での信繁さんの活躍といい、親子そろって家康に痛手を負わせております(^^;)
偶然そうなったのでしょうが、何と言いますか、反骨精神と言いますか、因縁? 
そんなものを感じなくもないです。


また真田は武田家に仕えていた時代があり、三方ヶ原の戦いにも参加しております。
徳川軍が武田軍に大敗した戦です。
これも含めますと、本当に因縁めいたものを感じます。
真田は家康の天敵のような、そんな感じです。


真田昌幸さんが知将と呼ばれる所以、それは戦術ばかりでなく戦略にも秀でていたからでしょう。
彼を 「 表裏比興の者 」 と評した文書があり、処世術に長けていたことが窺えます。
周囲の大勢力間を渡り歩きながら勢力を拡大させていった実績が、そういった高い評価を得たようです。

さらには関ヶ原の戦いにて、東軍・西軍のどちらかについて敗れた際に真田家が滅んでしまうことを危惧し、自分と信繁は西軍に、長男の信之は東軍についた。
姻戚関係からして信之は徳川側、昌幸と信繁は三成側に近かったのでこのような流れとなったのでしょうが、なかなか思い切ったことをするなぁ〜と思います。


そしてそして、こんなエピソードがありますのでご紹介いたします。
なんだか爽快なエピソードです。
以下、賢者Wikipedia様から転載
 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓


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徳川秀忠が西軍についた真田昌幸の篭る上田城に前進を阻まれていた時、秀忠は冠が岳にいる先陣の石川玄蕃、日根野徳太郎に連絡する必要に迫られ、島田兵四郎という者を伝令として出した。
兵四郎は地理がよくわからなかったうえ、上田城を避けて迂回していたのでは時間がかかりすぎると思い、なんと上田城の大手門前に堂々と馬を走らせ、城の番兵に向かって「私は江戸中納言(=秀忠)の家来の島田兵四郎という者。君命を帯びて、我が先陣の冠が岳まで連絡にいくところです。
急ぎますので、どうか城内を通してくだされ」と叫んだ。

味方に連絡するために、現在交戦中の敵城を通してくれ、というのだから、とんでもない話である。
番兵たちもあまりのことに仰天してしまい、真田昌幸に報告すると、「なんと肝っ玉の太い武士だろう。通してやらねばこちらの料簡の狭さになる。門を開けてやれ」と門を開けるように指示した。
「かたじけない」と城内を駆け抜け裏門を抜ける際、島田兵四郎はちゃっかりと「帰りももう一度来ますので、また通してくだされ」と言った。

その言葉通り、再び島田兵四郎が帰りに城に立ち寄った時、真田昌幸はいたく感服し、兵四郎に会い、「そなたは城内を通過したので、我が城内の様子を見ただろう。
しかし様々な備えはあれど、それは城の本当の守りではない。
真の守りは、城の大将の心の中にあるのだ」と、自ら直々に案内して城内を詳しく見せてやり、その後門を開けて帰してやったという(『名将言行録』、『週刊ビジュアル日本の合戦』)。

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以上、転載終わり。
いやぁ〜〜〜〜、敵も味方もなかなかにぶっとんでおりますね(^^;)
うむ。良きかな☆


ただ・・・このようなことも書かれていたので、あえてこちらも転載いたします。
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昌幸は現代の歴史小説において 「謀略家」 「謀将」 として描かれる傾向が非常に根強い。
誤りとまではいわないが、この従来の人物像の基礎になっているのは江戸時代中期の享保16年(1731年)に成立した信濃松代藩士・竹内軌定の『真武内伝』である。
そのため、確実な一次史料の存在が乏しく、昌幸の人物像や個性に関しては不明な点も少なくない。

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とのこと。

ちょっと残念・・・

でも、ある程度予想もしていた(^^;)
といった感じです☆
わりと多いのです、こういったこと。
ですので、私は 「 歴史はすべて闇の中 」 を大前提として戦国武将・・・と言いますか過去のことを捉えております。

前提は前提としまして、その上で戦国ロマンを楽しんでおります(^^)



本日もこのブログを読んでくださり、ありがとうございました(^^)

ではまた〜



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ブログ移転しましたぁ〜( ´ ▽ ` )ノ
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甲冑はじめました(*゜▽゜*)(冷やし中華はじめました的なや〜〜つ)


posted by jami at 19:53| Comment(0) | 日本の戦国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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