2014年09月27日

戦国武将紹介・その35 〜前田利家〜

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はい!
ども!
ど〜〜もです!!

jamiです(^^)
戦国武将大好きなjamiであります(^^)
好きなくせしてそんなに詳しくないjamiであります!( ;´Д`)

当ブログにお越しくださり、誠にありがとうございます☆
当ブログは自己満仕様となっております。
何も得るものがないとは思いますが、なにとぞ宜しくお願いいたします!


さてさて

本日もいきましょう、あのコーナー!!
jami的戦国武将紹介ぃ〜〜〜!!!
魅力的な戦国武将の方々を、jami的視点で書いていきます。

そしてそしてぇ!
jami的能力値判定なるものを設け、誠に勝手ながら、【武力】【知力】【魅力】の数値をつけさせていただきました。
これも、かなり!かな〜〜〜〜り!!個人的見解ですので、「ふ〜〜〜〜ん、あそ(´・_・`)」ってな感じで、大きな心で見てやってくだされば幸いです(^^;)
まぁ、お気軽に読んでやってくださいな( ´ ▽ ` )ノ

本日はこの方ぁ!!!



前田利家。


jami的能力値判定
【武力】 4 ★★★★
【知力】 3 ★★★
【魅力】 3 ★★★

はい。前田利家(まえだとしいえ)さんです。
加賀百万石の大大名であります。
大変人気があり、ファンの方も多いのではないでしょうか。

若い頃は血気盛んで 「 槍の又左 」 と呼ばれるほどの槍の使い手であったらしい。
しかしその血気盛んぶりは度が過ぎており、信長の異母弟と諍いを起こし斬殺するといった、とんでもないことをしでかしてしまう。
なんとか成敗は免れたが、出仕停止処分となる。

が!!!

にも拘らず、桶狭間の戦いに参戦(^^;)
武功を立てる。

・・・が(^^;)
帰参は許されなかった。


が!!!

その翌年にまたもや出仕停止処分中にも拘らず、森部の戦いでも無断参戦(^^;)
武功を立てる。
今回はこの武功が認められ、帰参が許され、晴れて織田軍の所属となる。

それからは(それまでも(^^;))持ち前の強靭な肉体と精神(生き様?)で多くの戦に参戦し大活躍。
信長の天下布武に尽力した。


そして、武将としての大出世の足掛かりとなった北陸方面軍への参加。
柴田勝家の与力となり、佐々成政・不破光治とともに府中10万石を与えられ、 「府中三人衆」 と呼ばれるようになる。



そしてそして、来るべき 賤ヶ岳の戦い・・・


長年世話になってきた柴田勝家と、古くから友人であった羽柴秀吉が対立。
利家は苦悩の選択を迫られる。
最初は勝家側についていた利家であったが、合戦のさなか撤退。
これが原因となり秀吉側の勝利へと繋がる。

敗北して北ノ庄城へ逃れる途中の勝家が、利家のもとに立ち寄った。
本来であれば非難されてもおかしくないが、勝家は利家にこれまでの労をねぎらったという。
これが最期の会話であるのだから、感謝の言葉を残していこう・・・
そういった思いだったのでしょうか。
利家さんの胸中や如何ばかりだったことか・・・


秀吉と勝家との戦いに決着がつき、勝家自害。
その後は秀吉のもとで働くこととなる。

そしてその秀吉も死去。
家康の台頭が極めて顕著に。
それを抑えることが出来る最後の一人・利家もまた、間もなく死去。
天下分け目の関ヶ原へと時代は動くこととなる。



いや〜〜〜〜、重要人物ですねぇ、利家さん(^^)
歴史の流れに大きく関与しておりますね。
そして、やんちゃだった若き日々、大出世を遂げた晩年。
まさに物語って感じの生涯を送られてますね。

まぁ、それを言ったら他にも沢山おられますが。物語って感じの生涯を送られてこられた方が。



さてさて、そんな利家さんには芳春院(ほうしゅんいん)という奥様がおられます。
あの有名な、まつさんですね。
・・・あ、有名なのかな?(^^;)
大河ドラマにも出てますよ☆
『 利家とまつ 』 にて、利家とともに主役で活躍しております。

このまつさんも、なかなかに興味深い方のようです。

以下、賢者Wikipedia様から転載
 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 


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豊臣秀吉の正室高台院(ねね、おね、北政所)とは懇意の間柄であったことで知られる。

安土城城下に住んでいた頃は、屋敷の塀を隔てた隣同士に秀吉夫妻が住んでおり、ねねとまつは毎日のようにどちらかの屋敷で話し込んでいたという。

秀吉の母・なか(大政所)とも懇意の仲であり、なかの畑の手伝いをしたり、なかが栽培した野菜をまつに自ら届けたりもしたという。

子供のいない秀吉夫妻のために、豪姫を養女にさせた。

利家が賤ヶ岳の戦いにおいて柴田勝家方について敗れると、秀吉と和議を持つため越前府中において会談し、和睦を許される。

蒲生氏郷死後の蒲生家の跡目相続について、利家が秀吉に氏郷の子・鶴千代(後の蒲生秀行)にするよう話を進め了承されていた。
これが反故になり、怒った利家が大坂城への出仕を拒否したため秀吉と不仲となった。
これを見かねたまつが北政所の元に赴き、利家との約束の履行を求めた結果、鶴千代の跡目相続が決着した。

利家が豊臣秀頼の傳役となったことから、秀吉から化粧領を拝領し、醍醐の花見でも秀吉の妻妾と共に列席するなど、一家臣の妻としては異例の扱いを受けている。

この花見での松の丸殿と淀殿の席次争いの仲裁はまつの聡明さを示した逸話の一つとされる。

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以上、転載終わり。

秀吉さんとは家族ぐるみの付き合いだったようですね。
そうなんですよね。

戦国時代だからと言って、武将だけが生きているワケではないんですよね。
当たり前か(^^;)
ただ、そんな当たり前のことも、「戦国時代」 という言葉を前にすると、武将の活躍・戦の推移などが目立ってかき消されてしまいがちです。

戦以外の部分に目を向ければ、これまた違った色彩の戦国ロマンが感じられますね(^^)



本日もこのブログを読んでくださり、ありがとうございました(^^)

ではまた〜



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posted by jami at 19:34| Comment(0) | 日本の戦国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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