2014年09月28日

戦国時代・年表☆ その1

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戦国クリエーター・jamiの
『 甲冑ファッションコーディネート 』
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は〜〜〜い!
ど〜〜もぉっ☆
jamiでございますぅ〜〜( ´ ▽ ` )ノ
戦国好きのjamiでございますぅ〜〜( ´ ▽ ` )ノ
好きではありますが詳しくはございませんjamiでございますぅ〜〜( ´ ▽ ` )ノ

玄人様の御目汚しとなるやも知れませぬが、何卒宜しくお願いいたします!!!
自己満であります!
これ自己満ブログであります!!
あらかじめ謝っておきます〜〜〜!!!m(_ _)m



と、いうワケでですね、今回のブログタイトルは、

『 戦国時代・年表☆ 』

となっております。
はい。そのままですね。
戦国時代の年表を重要事項のみかいつまんで、私jamiの印象を述べつつ簡潔にご説明していく所存です(^^)
この記事は、まだ最近 戦国時代にご興味を持たれた方に向けて書いております。
玄人の皆様、例によって例の如く大したことは書かれておりません。

いろいろと思うところがあるかと思いますが、目をつむってやってください。
そして目をつむったまま記事を読んでください。
そして5秒待ってください。
5秒待ったら目を見開きこう叫んでください。


「 って読めねぇ〜〜〜!!!(((o(*゜▽゜*)o))) 」


と。

お願いしますね。

はい、ゴメンナサイ。冗談です( ´ ▽ ` )ノ

ではでは、本題いきますYo〜♪



●永禄3年 (1560年)【 桶狭間の戦い 】

尾張国・桶狭間にて、織田信長と今川義元が激突!
圧倒的な兵力差により今川方が遥かに有利であったが、戦の軍配は信長にあがった。
これにより信長は諸国より一目置かれる存在となる。
とは言え、まだまだ小大名。
これより天下布武を掲げ日ノ本を席巻するとは、誰が予想したであろう。

ちなみにこの桶狭間の戦いこそが、メジャーな戦いの中では一番初期のものではないでしょうか。
桶狭間に始まり、大阪の陣にて終わりを迎える。
jami的戦国時代は、そんな印象である。



●永禄4年 (1561年)【 川中島の戦い 】

信濃国・川中島にて龍虎激突!
甲斐の虎・武田信玄と越後の龍・上杉謙信が雌雄を決すべく刃を交える。
武田の天才軍師・山本勘助が発案した啄木鳥戦法。
別働隊にて敵を急襲し敗走させ、待ちかまえる本隊とで挟み撃ちするはずであったが、上杉軍は忽然と姿を消していた。
そして深い霧が消えた時、突如として上杉軍が姿を現す。
信玄めがけ猛攻撃をかける上杉軍。多くの被害を出しつつもなんとか持ちこたえる。
そして別働隊も戻り、戦いはクライマックスを迎える。

なんと言いますか、「伝説の一戦」 的な印象の戦い。
最強同士の戦いと言った感じでございます。



●永禄8年 (1565年)【 将軍暗殺 】

松永久秀と三好三人衆が、将軍・足利義輝を暗殺。
剣豪将軍として名高い義輝は、自らその手に名刀を持ち押し寄せる敵兵を次々と返り討ちにしていく。
しかし多勢に無勢。ついに討ち取られてしまう。
将軍であっても討たれてしまう、まさに下剋上の時代。
混迷を極める時代の流れは、さらに激流となっていく。

jami的には、この事件そのものより、義輝さんの存在、そして最期がとても印象的です。
将軍なのに武芸に長けているところが素晴らしい。



●永禄10年(1567年)【 美濃攻略 】

織田信長、稲葉山城を陥落させ、美濃国を平定。
稲葉山城を岐阜城と名を改め居城とする。

着々と領地・戦力を増大していく織田信長。
名だたる名将多しと言えど、この時代、天下統一の野望を抱いていたのは信長ただ一人であったという話もある。

漫画 「センゴク」 にてこの戦いから物語が始まるのが、jami的印象としてあります。
そして、信長の奥様である濃姫はこの戦いに何を感じていたのかが気になるところです。
兄が父を討ち、その兄を夫が追い落とす。
男子のみならず、女性もまた凄まじい生涯を送らざるを得ない時代だったことは間違いないでしょう。



●永禄11年(1568年)【 上洛戦 】

信長の上洛戦が開始され、三好三人衆を撃退。
足利義昭が15代室町将軍となる。

jami的に信長が、三国志の曹操とダブって見えます。
そう思えるのは私ばかりではないはず。
帝を奉ることによってその威を借り、自らに威が備わればこれを廃する。
頭が良いと言うのか残酷というか。
ただ、曹操に利用され何もできなかった帝に対しては同情できたのに、足利義昭さんには同じ感情にはならなかった(^^;)
義昭さんは信長に奉られるも権威を奪われるのを黙って見ていなかったからであります。
実力はともかくとして、そのしぶとさ、いや往生際の悪さに 「何もできない可愛そうな弱者」 とは思えないんですよね(^^;)



●永禄13年
 元亀 元年(1570年)【  金ヶ崎の退き口  】

朝倉を攻めていた織田信長は浅井長政の謀反により、絶体絶命の危機に陥る。
挟撃される形となったが、なんとか撤退に成功する。

漫画 「センゴク」 にて感動しました、この金ヶ崎の退き口編。
熱かったです。
とても熱かったです。
極限まで迫りぶつかってくる 「死」 。
それこそが 「生」 を感じさせてくれるもの。
確かにそうなのかも・・・と思ったのを覚えてます。

暑さを知ることによって涼しさを感じれる。
恐怖を知ることによって安心を実感できる。
死に直面することによって、生を確かなものとして体感できる。

分かるのですが分かりたくない(^^;)
それが素直な感想です(^^;)



●永禄13年
 元亀 元年(1570年)【  姉川の戦い  】

近江国・姉川にて、織田・徳川連合軍 と 朝倉・浅井連合軍が激突する。
浅井軍の磯野員昌が信長を窮地に追い込むも、なんとか防戦。
一進一退の攻防の末、織田・徳川勢が勝利を収める。
しかし敗れたとはいえ、朝倉・浅井ともにまだ多くの戦力を有していた。

これまたjamiとしては漫画 「センゴク」 が思い出されます。
熱かったです。
確かこの戦いのシーンで泣いた覚えがあります(^^;)



●元亀2年 (1571年)【 比叡山焼き討ち 】

信長は、朝倉・浅井を支持する比叡山を焼き討ちする。
この戦いで多くの僧侶を殺すこととなる。
信長に残虐性を感じる人も少なくないが、この一件が強く影響していることは間違いないだろう。

確かに・・・確かに残虐性を感じるエピソードですね。
と同時に、軍事力に訴えるってのは、結局こうゆう結果に繋がるんだろうなぁ〜なんて思いがわいてきます。
相手に憎しみを抱いている、また、自分がしたい行為を邪魔している相手がいる。
それを軍事力によって解決を図る。
その場合、弱い側が滅びるし、滅びず生き残った場合、これまた憎しみの連鎖となるし、だからこそ敵対した相手は根絶やしに・・・
なんて構図ができちゃうんですよね・・・


「哀しいけどこれ、戦争なのよね」( ´ ▽ ` )ノ


はい。
不謹慎にもガンダムネタでごまかしました( ´ ▽ ` )ノ
こうゆうこと考えてると心が沈むので(^^;)



●元亀4年
 天正元年 (1573年)【  三方ヶ原の戦い 】

武田信玄の西上作戦が開始、 遠江国・三方ヶ原にて徳川・織田連合軍と激突。
武田軍の圧勝となる。
この屈辱的な敗戦の直後、家康は自分の苦渋の表情をした肖像画を描かせた。
「しかみ像」である。

家康の無様な負け戦として有名なこの戦い。
しかし、この敗戦から家康は多くを学んだと言われております。
また、自分を打ち負かした信玄や武田軍に対し尊敬の念を抱いたとも言われております。
さすがですね。
ただ負けるだけではない。
転んでもただは起きない。
負けて勝つ。
家康さんは、そんな言葉が似合いますね(^^)



●元亀4年
 天正元年 (1573年)【  一乗谷の戦い 】

劣勢を悟った朝倉義景は軍を撤退。これを信長は本隊を率いて猛追、徹底的に打ち負かす。
刀根坂の戦いとも呼ばれる。

「戦にてもっとも困難を極めるのは撤退戦」 と、漫画「センゴク」にて習いました(^^;)
またかい! またセンゴクかい!! ってな感じですね(^^;)
はい。かなり影響を受けていると思われます(^^;)
そんなこんなで、この一乗谷の戦いも撤退時に追撃されたために大きな被害をこうむったようです。
孫子の兵法にもありますが、戦って勢いが大事なようですね。
戦意が高揚している者と喪失している者の差は歴然。
これが集団ともなれば、その差はさらにひらいていくことでしょう。



●元亀4年
 天正元年 (1573年)【  小谷城の戦い 】

越前を制圧した信長は、浅井長政が籠る小谷城を総攻撃し陥落させる。
長政は正室のお市と3人の娘(浅井三姉妹)を織田軍に引き渡したのち自害した。

jami的印象ですが、う〜〜〜〜ん、残酷。って感じです。
もちろん戦は常に残酷なものではあるのですが、お市と浅井三姉妹の視点が入ってしまい、特にそう思います。



●天正2年 (1574年)【 第三次長島攻め 】

本願寺門徒らが蜂起した一向一揆との戦いは佳境を迎え、信長は三度目の長島攻めを敢行する。
この戦いは凄惨なるもので、双方に甚大なる被害を与えた。
信長の身内も幾人も討たれ、門徒らも多くが殺された。

比叡山の件に続き、これまた信長さんに残虐なイメージを想起させるエピソードとなってしまいました。
う〜〜〜〜ん、多くを語るのはやめておきます(^^;)
気が滅入るので(^^;)
いつも戦国ロマンとほざいてるjamiですが、どうにもそこに結び付けられない事もございます(^^;)


●天正3年 (1575年)【 長篠の戦い 】

三河国・長篠設楽原にて、織田・徳川連合軍と武田軍とが激突。
大量の鉄砲を用いた連合軍が勝利する。

当時最強と呼ばれていた武田軍が敗北したことにより、時代の変わり目を感じた人が多かったのではないでしょうか。
その中で、鉄砲の優位性が示されたことが、のちの戦の形に変化をもたらしました。
ふとゲーム 「戦国無双2」 のシーンが蘇りました。
長篠の戦いにて連合軍側でプレイし勝利すると、本多忠勝さんが


「 武士の時代は終わった。」


的なセリフを言うのです。
勝ったのに寂しそうなセリフです。
とても印象的でした。



●天正10年(1582年)【 本能寺の変 】

もはや織田信長の天下統一はほぼ確定的であった。
信長は明智光秀に、秀吉の援護のため中国地方へ向かうよう命を下す。
が、光秀は謀反を起こし、本能寺の信長を急襲。
わずかな手勢しかいなかった信長に対し、光秀軍は総勢13000。
逃れることかなわず、自ら応戦するも負傷する。
もはやこれまでと、信長、自害。

一瞬ですね。
まさに一瞬。
怒涛の勢いで版図を広げた信長の運命が、まさかこのような形で終わりを迎えるとは、誰が予想したでしょう。
とは言え、やはり戦国時代。
信長自身がそうであったように、下剋上により上の者が下の者に討たれることはよくありました。
なおかつ戦慣れした織田軍の諸将。相手の隙を見つけることにも長けていたでしょう。
油断が招いた結果とも言えるかもしれません。



●天正10年(1582年)【 山崎の戦い 】

本能寺にて主君・信長が討たれたことを知った羽柴秀吉は、対陣中の毛利と緊急に和睦し急ぎ明智光秀討伐に向かう。
世にいう中国大返しである。
尋常ならざる速さにて行軍し、山崎にて明智軍と対決。
これを破る。

これまた歴史的瞬間ですね。
一つ大きな変化があると、それに伴い様々な展開へと繋がっていきます。
私が大いに影響を受けている漫画 「センゴク」 ですが、ただいま 「一統記」 の6巻まで読んでおります。
山崎の戦いが開始され、まだ決着がついていない状態です。
早く7巻が読みたい!!!

・・・あ、もうすでに出てるんですけどね(^^;)
他にも読みたい本とかあって、なかなか・・・ってな感じです(^^;)



●天正10年(1582年)【 清須会議 】

主君・織田信長を討った明智光秀。その光秀もまた山崎の戦いにて羽柴秀吉に敗れる。
これにより秀吉は、織田家中においての発言権を強めた。
織田家の後継者問題にて秀吉と柴田勝家が対立するも、秀吉が擁立した三法師が後継者として決まる。

はい。秀吉さんの黒いところが徐々に出てきてる時期ですね(^^;)
やはり一武将であった時と、天下に手が届く位置にきた時とでは違うのですね。
まぁ、そんなものかな。 といった感じです(^^)
良くも悪くもなく、ホントに只々、 「 まぁ、そんなものかな。 」 と。



・・・簡潔にまとめるつもりが、意外と長くなってしまいました(^^;)
まだまだ続きます☆



本日もこのブログを読んでくださり、誠にありがとうございます(^^)

ではまた〜



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甲冑はじめました(*゜▽゜*)(冷やし中華はじめました的なや〜〜つ)


posted by jami at 21:56| Comment(0) | 日本の戦国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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